撮影する場所は、すごく近い距離なのに歩いて行かないなんて、どんだけVIPなんだ。スタジオにつくと、メイクをはじめる。何もしなくたってつるつるの肌なのにメイクをするとさらにキラキラとした感じになる。その間に私と杉野マネージャーは、カメラマンやスタッフと最終的な打ち合わせをした。メイク室の様子を見ながら私と杉野マネージャーは、ヒソヒソと話す。「芸能人のわりに、対応いいな」「え、はい。そうですね」「ま、これから急に気分が変わるかもしれないから気をつけて対応して行こうな」メイクが終わった。「では、紫藤大樹さん入ります」声を張り上げた杉野マネージャーの合図で、大くんが入ってきた。髪の毛をふわりとさせて、白いYシャツの中に水色のランニングを着てジーンズというラフな格好なのに、眩しいほどオーラが出ている。「よろしくお願いします」大くんが大きな声でしっかりと挨拶をする。「では早速セットペーパーの前に立っていただけますか?」カメラマンさんは、我社の要望通り撮影を進めてくれる。「杉野マネージャー、セットペーパーとはなんですか?」「バック紙のことだよ」「なるほど」言われた通り、大くんは白いセットペーパーの上に立つと目つきが変わった。真剣でスイッチが入ったようだ。パシャカシャと――。シャッターを切る音が響く。クールな表情をしたり、ニコッと笑ったり、優しい表情を浮かべたり、器用に顔を動かす。さすが、プロだ。商品を持って決めポーズ。スプーンですくって食べて笑顔。一コマずつ素晴らしい絵を残してくれる。大くんの仕事現場をこんなふうに間近で見れるなんて、激レアだろうな。全国のファンは羨ましがられるだろう。「はい、以上になります」カメラマンの声が響く。写真をチェックすると、どれを使ってもいい出来栄えだ。あっという間に仕事をこなす姿に、ただただ感心する。「すげぇ」杉野マネージャーは思わず声を漏らした。時計を見るとまだ十二時になっていなかった。一時間も、早く終わったのだ。「予定が狂うな……」困っている杉野マネージャーの元に、大くんが近づいてくる。「時間があるので早めに出発して、海辺でランチなんていかがでしょうか?」間近で見ると、汗一つかいてない。涼しい顔を浮かべている。「そうですね。少し休んでいただけますね」「一緒にランチ
話がまとまり車で海を目指す。途中でハンバーガーをテイクアウトした。大物女優さんがドラマ撮影後にスタッフを連れて呑みに行ってねぎらうとか、聞いたことがある。スタッフを大事にすることは、大切なことだと語っていた。到着したのは十三時。時間的に余裕があり、撮影準備しているスタッフを集めて彼が自らハンバーガーを配っている。一人一人に「お世話になります」と頭を下げている。「いやぁ、一流の人は礼儀正しいって言うけど、すごいな」杉野マネージャーは関心した口調だ。「ええ。今日だけじゃなく、紫藤はいつもああなんです」池村マネージャーさんが言った。いつも、なんだ。大くんは、昔もそうだった。よく気がついてすごく礼儀正しい人だったよね。杉野マネージャーにハンバーガーを渡し終えて大くんがこちらに視線を向けた。「どうぞ、美羽さん」「ありがとうございます……」「美味しく召し上がれ」遠くから見ているだけだと落ち着いていられるけど、近づいてくると心臓がバフバフする。皆にハンバーガーを配り終わった大くんは、特別なところに行くわけでもなくスタッフと一緒に砂浜に座ってハンバーガーを美味しそうに頬張る。カメラマンやメイクと話したりして場を和ませる。あの人は……間違いなくスターだと思った。私は、あんなにすごい人に愛されて、しかも子供を妊娠していたのだ。産みたかった。心から守りたいと思っていた。それは、芸能人だからとかじゃなく、心から愛した人の赤ちゃんだったから。ジャケットのポケットに入れた、はなのしおりをそっと撫でる。産んであげられなくて、ごめんね。私のお腹の居心地がきっと悪かったのだろう。何年経っても、お詫びの気持ちは消えない。申し訳なくて、いつも、いつも心の中で想っている。
撮影がはじまると、大くんはふたたびスイッチが入る。眼の色が変わるのだ。カラーコンタクトを入れていなくてもまるで赤にも青にも自在に変えられるような……そんな才能があるように感じた。何度もリッチマンゴープリンを食べてセリフを言う。「リッチな気分を味わいたい日に」とか「贅沢にマンゴーを入れました」とか。「甘さを二人で分け合おう」とか。うちの会社が考えたいかにもというセリフなのに大くんが言うと様になるから驚いてしまう。外国人モデルも撮影に協力してもらい、食べさせあったり。すごくセクシーな視線が絡み合うのを見ていると、私には刺激が強すぎる気がした。きっと、何度も食べてお腹いっぱいになっているはずなのに、嫌な顔をしないで頑張っている。一時間ほど撮影をして休憩に入る時は、さすがにお腹が苦しそうだった。「紫藤さんにお茶出してきて。ねぎらうのも仕事だからな」杉野マネージャーは、私を残して現場監督と打ち合わせに行ってしまう。椅子に座っている大くんの元へ行き、しゃがんだ私はおそるおそるお茶を差し出す。「お疲れ様です。疲れておりませんか?」ギロッと私を睨んだ。「疲れてるに、決まってんだろ」大くんはとひどく冷たい声で言った。しかも、私だけに聞こえるように。ショックすぎて強い頭痛に襲われる。めまいを起こしてしまいそうだった。震える手でお茶を渡そうとすると、お茶をこぼしてしまったのだ。タイミングよくかわしてくれたから、大くんにはかからなかったけど、かなり動揺してしまう。「も、申し訳ありませんっ!」「……ドジ」小さな声で言われる。もう、無理だ。このままここにいるなんて耐えられない。泣きそうになるのを必死で堪える。「本当に申し訳ありませんでした」何度も頭を下げるしかない。様子がおかしいことに気がついた杉野マネージャーが助けに来てくれた。「お茶をこぼしてしまいました」私は杉野マネージャーに事情を大くんが説明すると、一緒に頭を深く下げる。「お前、お茶くらいちゃんと渡せって。紫藤様大変に申し訳ありません」「いいえ。気にしていませんよ。初瀬さんも疲れてきたんじゃないですか? 無理はしないでくださいね」ニッコリと営業スマイルを向けてきた。二重人格だ。心の中でそんなことを思ったけど、まさか口には出せない。「本当にすみませんでした」「あまり、気に
海辺の撮影を終えると、スタジオでの動画撮影に入り、すべて終わったのは二十一時が過ぎた頃だった。思ったよりも早く終わることができて、次のマネージャーが一安心といった様子だ。私も、やっと大くんから解放される(仕事だけど)と思って、少しだけ心が軽くなった。「お疲れ様でございました。明日朝の海の撮影はやらない方向でおります」「そうですか。ありがとうございます」杉野マネージャーに対して大くんは、礼儀正しく話している。「では、那覇のホテルでゆっくり過ごせますね。お二人ともどちらのホテルなんですか?」にこやかに問いかけてきた。「同じホテルなんです」「まさか、ツイン?」「さすがにシングルですよ」次のマネージャーはすごく楽しそうに笑い出した。「お二人がすごく仲良さそうに見えたのでいいパートナーだなって勝手に想像しちゃったんですよ。まさかのオフィスラブかと。あくまでも仕事できているということですよね」「さすが想像力が豊かですね。もちろん仕事できているだけです」社会人としての大人の笑顔を二人とも作っている。そこに池村マネージャーがやってきて、迎えの車が到着する。「今日は本当にお世話になりました」大くんは、見送っているスタッフたちに頭を下げてから車の中に乗り込んだ。最後の最後まで印象がいい。「午前中は空いておりますので、なにかあれば」池村マネージャーは言葉を残し、二人を乗せた車は去って行った。明日、お見送りをして終わりだ。それで、すべて終わり。あとはコマーシャルが完成するのを待つだけ。再開してしまい動揺しなかったといえば嘘になるが、目の当たりにして別世界の人だと思えた。やっと過去の自分から解放されてきたような感じがする。これからは私も新しい恋愛ができるかもしれない。「さーて。俺らも国際通りで飯食うか」「はい」国際通りを歩くと観光客がいたりして、賑わっている。観光だったらよかったなと今になってやっと思えた。杉野マネージャーと居酒屋に入って、軽く食事をする。「仕事だとはいえ、初瀬と二人きりでこうやって食事してるとテンション上がるな」「そ、そうですか?」「俺が隣にいてもドキドキしないの?」「へ?」
いきなりプライベートモードに入ったので私は急に対応できずに困ってしまう。「紫藤大樹を一日中見てたら、俺なんてカスにしか見えないか。ハハ」どこまで本気で言ってるのだろう。でも、杉野マネージャーはお兄さん的存在で一緒にいても苦じゃない。きっと、こういう人と結婚したら幸せな家庭を築ける気がする。私も年齢的に大人になった。友人では結婚や出産をしている人もいるので、意識しないわけではない。今までずっと過去にとらわれてきたので無理かと思っていたけれど、こうやって気に入ってくれている人がいるなら前向きになってみるのも一つの手かもしれない。食事を終えて、少しだけ歩きながらお土産を見る。ささやかな観光気分を味わおう。「会社に、ちんすこうでも、買っておくか」「はい」千奈津にこのガラスのキーホルダー買おうかな。「安くするよ」店員さんに声をかけられて、苦笑いする。買い物を済ませてからホテルに戻った。エレベーターを降りてそれぞれの部屋の方向へ歩く。「じゃあ、また明日もよろしくな」「はい、お疲れ様でした」ドアを開けて中に入ると、どっと疲れが出てきた。「ふぅ……一日終わった」ふかふかのベッドに横になると、体の力がすぅーっと抜けていく。かなり緊張していたので疲れた。もう、眠い。シャワーを浴びて早めに寝なきゃ。重い身体をなんとか起こすと、ブーブーと携帯のバイヴが震える音が聞こえた。会社の携帯だ。誰だろう。すごく疲れていたけど、急ぎの用事かもしれない。「はい。初瀬です」『俺』間違えるはずがない。だって過去に愛した人の声だから。どうして、なんで電話をかけてきたの?頭の中が真っ白になった。でも、きっと、仕事のことでなにか用事があるのかもしれない。「どうされましたか?」『声で誰だかわかるんだ?』「紫藤様ですよね」私は会社の人間として話そうと心がけた。『……今、一人?』「そうですが……」『確認したいことがあるから、俺の部屋に来てくれない?』やっぱり、仕事のことだった。名刺を見て電話をしてきたのだろう。じゃあ、杉野マネージャーに連絡しなきゃ。「では、杉野と参ります」『初瀬さんだけでいいです。エレベーターの前に待ってるから。人目につくから早く来て』「え……、でも」『疲れてるんだ。早く来て』ブチッと電話が切れてしまった。一人
大くんの泊まっているフロアーにある隠しエレベーターの前に行くと、本当に彼は待っていた。氷のような冷たい視線を私に向けてくる。体中に冷たい血液が駆け巡っていくような気がした。カードをかざすと、エレベーターが開く。「乗って」「でも……」「ここだと誰か来るから。早く」断ることができずにエレベーターに乗ってしまった。不安で押しつぶされそうな気持ちになる。大くんの部屋がある階に止まると扉が開いた歩きだす。本当に仕事の話なのだろうか。半信半疑のまま私は後ろをついて行った。「入って」「用事を言ってください。勝手な行動はできません」「……誰かに見られたら困るから早く入ってくれ」大くんは私のことは思いっきり睨みつけ、手首をつかんで部屋の中に入れた。逃げようとしたのにドアの前に立って出られなくしてしまう。「な、何するんですか!」「大声出したって聞こえないよ。誰も助けに来ない。少し冷静になれば?」大くんは、余裕の笑みを浮かべている。「驚かせて悪かった。まさかこんなところで会うと思わなかったからちゃんと話をしたかったんだ」「……」「少しだけ。お願い」そう言われたらやっぱり私は断れずにうなずいた。私の答えを聞いた彼は手を引いてソファーに座らせた。そして、目の前に座る。私はどこを見ていいのか、視線をキョロキョロさせてしまう。すごく広いスイートルーム。奥には大きなベッドが見える。テーブルもソファーもテレビも置かれているものは高価なものばかりだ。「久しぶりだな、美羽」落ち着いた声の大くんをそっと見る。仕事のことじゃなかった。プライベートだけど、期待しているような甘いものではない雰囲気だ。「お久しぶり……です」「元気そうだな」「はい……」目を見るのも怖くて私はまたうつむいた。大くんは、私に何を伝えたいのだろう。「杉野って奴と付き合ってんのか?」「え?」唐突すぎる質問に思考が追いつかない。「付き合ってない……ですけど……」「けど、あいつが美羽に惚れてるってことか。美羽、めちゃくちゃ綺麗になったしな。俺と離れる道を選んで正解だったわけか」「……」「てか、なんでそんなに普通にしてられるわけ? 俺は、撮影中にお前がいて、目障りだったんだよね」ヒドイ。でも、傷つけるような手紙を書いて、嫌われ役を選んだのは自分なのだ。大く
「……何それ」大くんは、芸能人オーラを消して捨てられた子犬のような顔をした。気のせいかな。だって、熱愛報道もあるし、十年も過ぎたのに私を想っているわけがない。そんな貫ける愛なんて、あるはずないんだから。この十年で私も大くんもきっと……変わってしまっただろう。私たちはすっかり大人の男女になっていた。「元気そうでよかったです。紫藤さんの活躍は見ていました。見たくなくても、目に入るくらい活躍されていたから」「美羽を見返すためにな。俺を捨てたお前を後悔させるために仕事を頑張った。俺が大スターになったら嫌でもお前は俺の姿を見るだろうと思ってさ」冷たい口調で言った。私を忘れていなかったのは、少しだけ嬉しかったけど、やっぱりそんなふうに思っていたのだ。「どんな人生を送ってきたんだ」「大学校卒業してここに入社して……。今年の春に部署異動してこの仕事の担当になったの。名前を見た時はびっくりした」彼は黙って話を聞いていてくれたけれど腕を組んで私を軽蔑するように見ている。「……その様子だと本当に子供は産まなかったんだな」赤ちゃんを降ろしたわけではない。産みたくて産みたくて仕方がなかったけど、お腹の中で死んじゃったのだ。喉まで出た言葉を飲み込む。いまさら、何を言っても無駄だ。寝室を告げたところで私たちは過去に戻ることはできないのだ。「美羽は今、幸せか?」「はい」咄嗟に嘘をついた。幸せってなんなのかわからない。けど、大くんと過ごしていたあの日々が一番キラキラしていたように、思う。大くんと離れ離れになってからいつもセピア色の景色を見ていたような感じがした。「ムカつく。なんで美羽だけ……」立ち上がった大くんは、ゆっくりと近づいてきていきなり私のことを強く抱きしめてきたのだ。驚いて目を見開くと、突然キスをされた。咄嗟に逃げようとするけれど、力いっぱい唇を押しつけてくる。「……ん、や、だ」口内を乱暴に舐め回す。必死で離れようともがくと、無理矢理足を開かれた。な、なにを考えてるの?首筋を痛いくらい吸われる。「本当にやめてください!」スーツがグチャグチャになり、目からは大粒の涙が溢れだす。全身のありったけの力を込めて、大くんを蹴飛ばした。すると、案外パタリと倒れた。「……最低っ」「どっちが」「……」これ以上一緒に居たら危ない。
自分の部屋について上がった呼吸を整える。久しぶりのキスで驚いてしまった。ベッドに倒れて、涙を拭う。どうして、あんなことするの?不安になって、はなのしおりを握ろうとポケットに手を入れる。「……ない」慌てて起き上がって探す。間違いなくポケットに入れておいたのに。お守りのように、大事にしていたのに、一体どこへ置いたのだろう。「もしかして」大くんに無理矢理キスをされた時に、あの部屋で落としたのかもしれない。他の物であればいいけど、あのしおりは大事なもの。取り返しに行かなければならない。だけど、もうあの部屋に行く勇気はない。電話をしてみよう。会社の携帯を握るけど、万が一通話履歴を確認されたら……。自分の携帯を取り出し、会社の携帯履歴に残っていた数字を確認しながら押す。『はい』「あの、あの……」『なに、美羽』「声で、わかるんですね」『……で、なに?』イライラした様子で話してくる。「しおり……、押し花しおりありませんか?」『……そんなに大事な物なの? たかがしおりなのに』赤ちゃんの代わりにしていたの、なんて言えない。どうしたら良いの?「本当に大事なものなんで返してもらえませんか」『へぇ。なんで? 杉野からもらったの?』「違います。とにかく、大事なんです」『部屋まで来て確認してみたら? その代わり続きをさせてよ』「どうして、そんなこと……」恋愛報道が出ていたけれど、心と体は別物だと考える人になってしまったのかもしれない。こんな魅力のない身体なのにそれでもいいと本気で思っているのだろうか。『この十年間……、裏切られた思いが膨らんでたから。今日、再会して一気に爆発した』「……」『どうして、平気なの? ごめんなさい申し訳ないと思わないわけ?』なにも言えない。平気じゃないもの。だって、だって、私は大くんに恨まれているとわかっても、大くんのことがまだ好きだって思うんだから。「いっぱい恨んでもいいから、しおりを……」『しおりなんて、知らない。たしかめに来いって』どうしてもしおりだけは返してほしい。『じゃあ、俺が美羽の部屋に行く。何号室?』「な、なにを言ってるんですか?」有名人の彼がホテルを歩き回ったらすぐにいろんな人に声をかけられて大変なことになってしまう。『どうしてそんなに困るの? 彼氏がいるのか?』「いな
赤坂side「話って何?」俺は、結婚の許可を取るために、大澤社長と二人で完全個室制の居酒屋に来ていた。大澤社長が不思議そうな表情をして俺のことを見ている。COLORは一定のファンは獲得しているが、大樹が結婚したことで離れてしまった人々もいる。人気商売だから仕方がないことではあるが、俺は一人の人間としてあいつに幸せになってもらいたいと思った。それは俺も黒柳も同じこと。愛する人ができたら結婚したいと思うのは普通のことなのだ。しかし立て続けに言われてしまえば社長は頭を抱えてしまうかもしれない。でもいつまでも逃げてるわけにはいかないので俺は勇気を出して口を開いた。「……結婚したいと思っているんだ」「え?」「もう……今すぐにでも結婚したい」唐突に言うと大澤社長は困ったような表情をした。ビールを一口呑んで気持ちを落ち着かせているようにも見える。「大樹が結婚したばかりなのよ。全員が結婚してしまったらアイドルなんて続けていけないと思う」「わかってる」だからといっていつまでも久実を待たせておくわけにはいかないのだ。俺たちの仕事は応援してくれるファンがいて成り立つものであるけれど、何を差し置いても一人の女性を愛していきたいと思ってしまった。「解散したとするじゃない? そうしたらあなたたちはどうやって食べていくの? 好きな女性を守るためには仕事をしていかなきゃいけないのよ」「……」社長の言う通りだ。かなりの貯金はあるが、仕事は続けていかなければならない。俺に仕事がなければ久実の両親も心配するだろう。
司会は事務所のアナウンス部所属の方のようだ。明るい声で話し方が柔らかいいい感じの司会だ。美羽さんと紫藤さんがゆっくりと入場してきた。真っ白なふわふわのレースのウエディングドレスを着た美羽さんはとても可愛らしい。髪の毛も綺麗に結われていて、頭には小さなティアラが乗っかっている。二人は本当に幸せそうに輝いている笑顔を浮かべていた。きっと過去に辛いことがあって乗り越えてきたから今はこうしてあるのだろう。二人が新郎新婦の席に到着すると、紫藤さんが挨拶をした。「皆さんお集まりくださりありがとうございます。本当に仲のいい人しか呼んでいません。気軽な気持ちで食事をして行ってください」結婚パーティーではプロのアーティストだったり、芸人さんがお笑いネタをやってくれたりととても面白かった。自由時間になると、美羽さんが近づいてきてくれる。「久実ちゃん、今日は来てくれてありがとう」「ウエディングドレスとても似合っています」「ありがとう。また今度ゆっくり遊びに来てね」「はい! お腹大事にしてください」「ええ、ありがとう」美羽さんのお腹の赤ちゃんは順調に育っているようだ。早く赤ちゃんが生まれてくるといいなと願っている。美羽さんと紫藤さんは辛い思いをたくさんしてきたらしいので、心から幸せになってほしいと思っていた。アルコールを楽しんでいる赤坂さんに目を向ける。事務所が私との結婚を許してくれたらいいな。でも、たくさんファンがいるだろうから、悲しませてしまわないだろうかと考えてしまう。落ち込んでしまうけど、希望を捨ててはいけない。必ず大好きな人と幸せになりたいと心から願っている。そして今まで支えてくれたファンの方たちにも何か恩返しができればと思っていた。私が直接何かをすることはできないけれど陰ながら応援していきたい。
◆今日は美羽さんと、紫藤さんの結婚パーティーだ。レストランを借り切って親しい人だけを選んでパーティーをするらしく、そこに私を呼んでくれたのだ。ほとんど会ったことがないのにいつも優しくしてくれる美羽さん。忙しいのにメッセージを送るといつも暖かく返事をしてくれる。そんな彼女の大切な日に呼んでもらえたのが嬉しくてたまらなかった。私は薄い水色のドレスを着てレストランへと向かった。会場に到着して席に座ると、私の隣に赤坂さんが座った。「おう」「……こ、こんにちは」「なんでそんなに他人行儀なの?」ムッとした表情をされる。赤坂さんと結婚の約束をしたなんて信じられなくて、今でも夢かと思ってしまう。「なんだか……私たちも婚約しているなんて信じられなくて」「残念ながら本当だ」「残念なんかじゃないよ。すごく嬉しい」赤坂さんはにっこりと笑ってくれた。そしてテーブルの下で手をぎゅっと握ってくれる。誰かに見られたらどうしようと思いながらドキドキしつつも嬉しくて泣きそうだった。「少し待たせてしまうかもしれないけど俺たちももう少しだから頑張ろうな」「うん」大好きな気持ちが胸の中でどんどんと膨らんでいく。こんなに好きになっても大丈夫なのだろうか。小さな声で会話をしていると会場が暗くなった。そしてバイオリンの音楽が響いた。『新郎新婦の入場です』
「病弱でいつまで生きられるかわからなくて。私たち夫婦のかけがえのない娘だった。その娘を真剣に愛してくれる男性に出会えたのだから、光栄なことはだと思うわ」お母さんの言葉をお父さんは噛みしめるように聞いていた。そして座り直して真っ直ぐ赤坂さんを見つめた。「赤坂さん。うちの娘を幸せにしてやってください」私のためにお父さんが頭を深く深く下げてくれた。赤坂さんも背筋を正して頭を下げる。「わかりました。絶対に幸せにします」結婚を認めてくれたことが嬉しくて、私は耐えきれなくて涙があふれてくる。赤坂さんがそっとハンカチを手渡してくれた。「これから事務所の許可を得ます。その後に結婚ということになるので、今すぐには難しいかもしれませんが、見守ってくだされば幸いです」赤坂さんはこれから大変になっていく。私も同じ気持ちで彼を支えていかなければ。「わかりました。何かと大変だと思いますが私たちはあなたたちを応援します」お母さんがはっきりした口調で言ってくれた。「ありがとうございます」「さ、お茶でも飲んでゆっくりしててください。今日はお仕事ないんですか?」「はい」私も赤坂さんも安心して心から笑顔になることができた。家族になるために頑張ろう。
「突然押しかけてしまって本当に申し訳ありません」赤坂さんが頭を下げると、お父さんは不機嫌そうに腕を組んだ。赤坂さんは私の命を救ってくれた本当の恩人だ。お父さんもそれはわかっているけれど、どうしても芸能人との結婚は許せないのだろう。赤坂さんが私のことを本気で愛してくれているのは、伝わってきている。私の隣で緊張しておかしくなってしまいそうな雰囲気が伝わってきた。「お父さん、お母さん」真剣な声音で赤坂さんはお父さんとお母さんのことを呼ぶ。お父さんとお母さんは赤坂さんのことを真剣に見つめる。「お父さん、お母さん。お嬢さんと結婚させてください」はっきりとした口調で言う姿が凛々しくてかっこいい。まるでドラマのワンシーンを見ているかのようだった。「お願い、赤坂さんと結婚させて」「芸能人と結婚したって大変な思いをするに決まっている。今は一時的に感情が盛り上がっているだけだ」部屋の空気が悪くなると、お母さんがそっと口を開いた。「そうかしら。赤坂さんはずっと久実のことを支えてくれていたわ。こんなにも長い間一緒にいてくれる人っていない。芸能人という特別な立場なのに、本当に愛してくれているのだと感じるの。だから……お母さんは結婚に賛成したい」お母さんの言葉にお父さんはハッとしている。私と赤坂さんも驚いて目を丸くした。お母さんはお父さんの背中をそっと撫でる。「あなたが久実のことを本当に大事に思っているのは一番わかるわ。可愛くて仕方がないのよね」「……あぁ」父親の心が伝わり泣きそうになる。
慌ててインターホンの画面を覗くと、宅急便だった。はぁ、びっくりさせないでほしい。ほっとしているが、残念な感情が込み上げてくる。どこかで赤坂さんに来てほしいという気持ちもあるのかもしれない。ちょっとだけ、寂しいなと思ってしまう。私は赤坂さんと結婚するのは夢のまた夢なのだろうか。お母さんが言っていたように二番目に好きな人と結婚しろと言われても、二番目に好きな人なんてできないと思う。ぼんやりと考えているとふたたびチャイムが鳴った。お母さんがインターホンのモニターを覗くと固まっている。その様子からして私は今度こそ本当に本当なのではないかと思った。「……あなた。赤坂さんがいらしたんだけど」「なんだって」部屋の空気が一気に変わった。私は一気に緊張してしまい、唇が乾いていく。赤坂さんが本当に日曜日に襲撃してくるなんて思ってもいなかった。冗談だと思っていたのに、来てくれるなんてそれだけ本気で考えてくれているのかもしれない。「久実、お父さんとお母さんのことを騙そうとしていたのか」「違うの。赤坂さんお部屋に入れてあげて。パパラッチに撮られたら大変なことになってしまうから」お父さんとお母さんは仕方がないと言った表情をすると、オートロックを解除した。数分後赤坂さんが部屋の中に入ってくる。今日はスーツを着ていつもと雰囲気が違っている。手土産なんか持ってきちゃったりして、芸能人という感じがしない。松葉杖を使わなくても歩けるようになったようだ。テーブルを挟んでお父さんとお母さん向かい側に私と赤坂さんが並んで座った。
家に戻り、落ち着いたところで携帯を見るが久実からの連絡はない。もしかしたら、両親に会える許可が取れたかと期待をしていたが、そう簡単にはいかなさそうだ。久実を大事に育ててきたからこそ、認めたくない気持ちもわかる。俺は安定しない仕事だし。でも、俺も諦められたい。絶対に久実と結婚したい。日曜日、怖くて不安だったが挨拶に行こうと決意を深くしたのだった。久実side日曜日になった。朝から、赤坂さんが来ないかと内心ドキドキしている。今日に限って、お父さんもお母さんも家にいるのだ。万が一来たらどうしよう。いや、まさか来ないよね。……いやいや、赤坂さんならありえる。私は顔は冷静だが心の中は忙しなかった。もし来たら修羅場になりそう。想像すると恐ろしくなって両親を出かけさせようと考える。お父さんは新聞を広げてくつろいでいる。「お父さん、どこか、行かないの?」「なんでだ」「い、いや、別に……アハハハ」笑ってごまかすが、怪しまれている。大丈夫だよね。赤坂さんが来るはずない。忙しそうだし、いつものジョークだろう。でも、ちゃんとお父さんに会ってもらわないと。赤坂さんと、ずっと、一緒にいたい。ランチを終えて食器を台所に片付けに行くと、チャイムが鳴った。も、もしかして。本当に来ちゃったの?
久実を愛しすぎて、彼女のウエディングドレス姿ばかり、想像する日々だ。世界一似合うと思う。純白もいいし、カラードレスも作りたい。もちろん結婚がゴールではないし結婚後の生活が大事になってくる。つらいことも楽しいことも人生には色々あると思うが彼女となら絶対に乗り越えて行ける自信があった。ただ……俺も黒柳も結婚をすると、COLORは解散する運命かもしれない。三人とも既婚者のアイドルなんてありえないよな。大事なCOLORだ。ずっと三人でやってきた。大樹だけ結婚をして幸せに過ごしているなんて不公平だと思う。あいつが辛い思いをしてきて今があるというのは十分に理解しているから、祝福はしているが、俺だって愛する人と幸せになりたい。グループの中で一人だけが結婚するというのはどうしても腑に落ちなかった。だから近いうちに事務所の社長には結婚したいということを伝えるつもりでいる。でもそうなるとやっぱり解散という文字が頭の中を支配していた。解散をしても、俺は久実を養う責任がある。仕事がなくなってしまったら俺は久実を守り抜くことができるのだろうか。不安もあるが、久実がそばにいてくれたら、どんな困難も乗り越えられると信じていたし、絶対に守っていくという決意もしている。
赤坂side音楽番組の収録を終えた。楽屋に戻ると、大樹は美羽さんに連絡をしている。「終わったよ。これから帰るから。体調はどうだ?」堂々と好きな人とやり取りできるのが、羨ましい。俺は、久美の親に結婚を反対されているっつーのに。腹立つ。会うことすら許してもらえない。大きなため息が出てしまう。私服に着替えながらも、久実のことを考える。久実を幸せにできる男は、俺だけだ。というか、どんなことがあっても離さない。俺は久美がいないと……もう、生きていけない。心から愛している。どんな若くて綺麗なアイドルなんかよりも、世界一、久実が好きだ。どうして、久実のご両親はこんなにも反対するのか。俺に大切な娘を預けるのは心もとないのだろうか。なんとしても、久実との交際や結婚を認めてほしい。一生、久実と生きていきたいと思っている。俺のこの真剣な気持ちが伝わればいいのに……。日曜日に実家まで押しかけるつもりでいた。 強制的に動かなければいけない時期に差し掛かってきている。 苛立ちを流し込むように、ペットボトルの水を一気飲みした。「ご機嫌斜め?」黒柳が顔を覗き込んでくる。「別に!」「スマイルだよ。笑わないと福は訪れないよ」「わかってる」クスクス笑って、黒柳は楽屋を出て行く。俺も帰ろう。「お疲れ」楽屋を出てエレベーターに乗る。セキュリティを超えて ドアを出るとタクシーで帰る。一人の女性をこんなにも愛してしまうなんて予想していなかった。自分の人生の物の見方や思考を変えてくれたのは、間違いなく久実だ。きっと彼女に出会っていなければ、ろくでもない人生を送っていたに違いない。